子供を持った以上、親はその子供を良き社会人に育てる義務がある。
 良き社会人とはどういう人間かという定義は、常識的には社会のルールを守り、他人に迷惑をかけず、独立独歩、自分の仕事と生活を確立している人間ということになろうか。
 しかし、この社会は生き物であり、どのように変化するか予測がつかない。
 現在の平和な状態が続くことは望ましいが、未来永久に変わらないという保証はどこにもない。早い話が、今の日本は未曾有の大不況下にあり、企業倒産と人員整理による失業率最悪、就職率最低、しかも経済は政府の無為無策により一向に好転せずという悪循環の中にある。あの華やかなバブルの時代に今日を予測した専門家は一人でもいたのだろうか。
 「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌が流行し、定年まで勤められるのが当然の生活設計をしていた時代は消え去り、今やどんな一流企業も倒産しないという保証はない。こういう時代の中で、私達親は可愛い子供に何を残してやれるのか。
 財産は無論、無いよりあった方がよい。
 しかし、得てして金あるが故に人間としては失格という例は、かの有名女優のバカ息子のみならず、以外に多いのが現実である。
 それに、そんな財産も、座して使えば何れ無くなる。もっと大切なことは、財産があることと人間の価値はほとんど関係がないということである。今話題の鈴木宗男、そして田中真紀子両氏の例を見れば、最も解り易いのではなかろうか。
 さてここで、自分を創るとはどういうことか考えてみたい。それは、精神的にも肉体的にも自分を磨き、そして鍛えることである。
 心と身体を切り離すことはできない。
 肉体だけの強さで、そこに理性が伴わないならば、それはもはやゴリラである。
 どのような性質の強さにせよ、その強さが深い教養と理性に支えられてこそ、社会をより良く変革して行く力となるのであって、肉体的な強さだけでは正に百害あって一利もない。
 視野の広い、考え方が柔軟で、しかも基本的に確固とした自己を持つこと。
 どんな変化にも対応できる、どんな逆境にも耐えられる、そして順境にあっても謙虚で他に対する思いやりを持てる余裕が必要である。
 それはつまり、何かひとつ自分にしかない能力を持つこと。所謂一芸に秀でることであり、人はそれを頼りに生きてゆける。
 生き方は多様であり、与えられたものがすべてではない。
 どんな時代の変革にも対応できる自分を創って行く。自分の得意な分野で付加価値を付けることで、自分自身を財産にすることができれば最高であろう。