格闘家には、一種の佇まいというものが存在している。 プロ、アマチェアに限らず、自らの体を痛めることを厭わず、 強くなることに一身を捧げる者たち。だからこそ、結果という代償を求めるのも当然だ。

その代償 、やや卑下した表現を用いれば、見返りが決して大きくない格闘技界。 なかでも女子格闘技は男子以上に、先の見えない競技生活を送り、 希望と不安を天秤にかけざるを得ない選手たちの心情が、 言葉の端々に現われることが少なくない。

原チャリで夜の東京を移動し、髪の毛を整えて現れた彼女――山口芽生。 年に数回手にするファイトマネー、国際玄制流空手道連盟武徳会・墨田森下支部長として 得る指導料、そしてLA生活で身につけた語学力を生かした格闘家への通訳という副収入、 それらを合わせて、「最低限の生活はできています」と屈託のない笑顔を見せたV一から、 何か突き抜けたものが感じられた。

4月、7月と女子金網総合イベント、ヴァルキリーの時期挑戦者決定戦に勝ち抜いてなお、決勝戦の日時は未確定。 総合で強くなるために始めたシュートボクシング、シーザージムで練習するようになり2年半、 シーザー武士会長の「お前、やれるのか」という鶴の一声で決まったガールズSカップ参戦。 8月23日の大会まで、3週間になった状況で、対戦相手も決まっていない。

負のスパイラルにはまってもおかしくない現状にいて、この明るさを保ち続ける彼女に対し、 柔術の師匠であるMAX増沢は『何も考えていない』と親しみを込めて言い放つ。 何も考えてない――は、不動心にも通じる気持ちの強さだと、 彼が理解していないはずがない。

彼女と格闘技との出会いは、カラテだった。小学1年から3年まで、 初めて経験した海外生活の中、軽い気持ちで習い始めた。 「伝統派のカラテで流派は忘れてしまいました(笑)。日本人っていうだけで、ペコペコされて。 でも、そこで日本にこんなに素晴らしいものがあるって知ったんです」

日本の良さを海外で知り、帰国後、今や支部長となった武徳会の門を叩いた。とはいっても、 中学〜高校とソフトボールに情熱を注いでいたこともあり、決して身を入れた稽古を行なっていたわけではなかった。 本気になったのは、6年間のソフトボール漬けの生活を終えたあと。

「部活が終わって、やることがないってなっちゃって、気がつけば道場で稽古をするようになっていた」彼女は、 ソフトボールに熱中した日々によって、ちょっとした足腰の強さを自覚できるようになっていた。 国際玄制流空手道連盟武徳会は、全日本空手連盟(JKF)に所属する流派で、伝統派四大流派に次ぐ規模を誇る。 沖縄の人、祝嶺正献が創始者で、今は土佐邦彦氏が会長宗家を務め、その活動は国内にとどまらず、海外7カ国に支部を持つまで広がっている。

「武徳会の東京の本部。大泉道場に通っていたんですが、本部は型も強いけど、特に組手が強かったんです。普段は拳サポーターを 普通は付けて練習するんですけど、直接、当てて痛みを知るために『今日は何もつけずに稽古しろ』と言われたり、ただのスポーツ・カラテだけでなく昔ながらの 伝統的な稽古もしていました」

そんな武徳会のカラテは、背が低く、小さな体の祝嶺が創意工夫し創りあげたことで、立っているところから急に地面に伏せて足を蹴りあげるなど、 独特の動きを持ち合わせている。彼女が総合の試合でも見せる、 斜上蹴りもその一つだ。

「寸止めの解釈は間違えられています。当てて、手を引く必要があるだけで、本当は凄く衝撃があるんです」。リョート・マチダの成功により、総合格闘技界でもその技術体系が見直されている伝統派カラテ、彼女が強いこだわりと誇りを持っていることは、この言葉でも明らかだ。

今も朝霞にある総本部で、稽古を続ける彼女は、本来、7月19日に行なわれた武徳会の全日本大会に出場予定だった。

「ブァルキリーの翌週だったので、さすがに出られなくなりました」と、 欠場理由を笑いながら振り返る。武徳会3段 、全日本空手道連盟公認3段の黒帯カラテ家の山口芽衣は、柔術では紫帯を巻いている。

柔術と出合ったのも、またLAだった。カラテの稽古に励む大学時代、LAの大学に編入し、再び海を渡った。

「K-1にはカラテ出身の人が出ていたので、見る時もありましたが、寝技が汗だくになってひっついていて 気持ち悪いって思っていました」と言う彼女だが、そのカラテが柔術との出会いを演出した。

「出稽古に行っていた道場の先生が寝技も教えてくれて。その先生がカッコよくて、爽やかな香りがしていたので、寝技を学ぼうという気持ちになりました」。

格好良い指導者、芦原会館出身の西山某氏はオープンマインドの持ち主で、柔道、合気道、そして柔術の稽古も取り組み、当時はヒーガン・マチャドの青帯だった。

そして、知る人ぞ知るLA日本人柔術家練習会、グラエロ柔術の延長線上にあった活動で、マックス柔術アカデミー&ヨガ・スタジオを主催するMAX増沢と知り合いでもあった。半年はど帰国する機会があった彼女は、西山氏より活動開始したばかりのマックス柔術アカデミーを紹介された。

グレイシー・アカデミーで柔術を始め、その後、カイケ柔術でトレーニングを積んだMAX増沢の下で、 初めて本格的に柔術を学んだ彼女は、再びLAへ戻ると、カイケ柔術に足を運ぶようになった。

ヒクソン・グレイシーの黒帯、カーロス・エンヒッキ・エリアスことカイケの指導は、エリオ派の伝統的な技術、そして競技会で勝てる技術を融合したもの。その指導法は、徹底した基礎知識の繰り返しだ。

そんなカイケの流儀が、彼女の感性にフィットしていた。

「強くなりたいから米国へ行き、流行りの道場に行く人が多いですけど、カラテも一緒で、基本ができていないと上にはいけないと言われてきたので、カイケ先生の指導は本当に納得のいくものでした。基本を何度も繰り返すので強くなると言っている人が多かったのですが、私は白帯だったし、あまり詳しいことは分かっていなかったけど、今になればその通りだと思っています。カイケ先生に柔術を習ったのは半年ほどですが、凄く良い経験になりました」

カイケ柔術の青帯を巻いて帰国した彼女は、06年Giアマチュア全国大会ブルーマ級優勝、無差別級3位、アジア大会青帯プルーマ級3位、翌07年1月にはアブダビコンバットJAPAN関東大会で優勝するなど、着実に女子柔術界の結果を残すようになっていた。

「あの時の先生の言葉があったから、今の私があります」と、彼女は振り返る。あの時――、それは柔術を始めたことを武徳会の師・土佐師範に告げられずにいた期間を指す。彼女は、トーナメント出場を試合に出るときに、破門覚悟で思い切って伝えてみた。すると、師の返答は「今できることは、 何でも吸収しなさい。外に出られるうちにでていきなさい」というものだった。

この言葉から、彼女は外で色々なものを見ないと強くなれない。人間としても大きくなれないという師の教えを感じとった。

とことん自分の道を突き進むことができるようになった彼女に対し、「カラテ、柔術、じゃぁ次は総合だね」という空気が周りに漂い始め、2007年3月、スマックガール・シンデレラ・トーナメント出場することとなる。女子総合格闘家V一が誕生した。リングネームの由来は、柔術の試合でアメリカーナ・アームロックで勝つ確率が高かったから。プロレスファンの師MAXにより、アメリカーナ=V1アームロックということで、この名を授かった。

「ルール自体、スマックとヴァルキリーの違いを見て判断できるほどの知識もなかったんです。みんな、新人だと思って出ただけでした」というV一は、半年後に、宮松恵美を2-1で下し、トーナメント優勝を果たした。同年12月に藤野恵美戦で、 総合初黒星を喫したが、スマック活動停止後、昨年11月に金網に初めて挑戦。

バウンド有りも初めてというなかで、対戦相手は最強・辻結花だった。

「別に怖さはなくて、自分は失うものないし、全力で戦えばいいと思っていました」。怖さを感じない、不安を感じないという彼女の気持ちの強さは、それだけ自分を追い込んだ練習に裏打ちされたものだった。

辻との一戦を判定負けという金星に値する結果で乗り切った彼女は、それからの試合で、対戦相手を落ち着いて見られるようになったという。

ヴァルキリー次期挑戦者決定トーナメントでは藤野恵美にリベンジを呆たし、高林恭子を2-1で下した。今秋には再び辻と相対することが決まっている。

そんな彼女のある意味、快進撃を支えているのが、武徳会で学んだカラテだ。

「カラテを試合で出すという意識はないですが、咄嵯のときに出る突きが、何も考えずにカラテの動きになっています。そんな動きが、試合中に一度は必ずあります」

それこそ伝統派特有のピンポイント攻撃、鼻やアゴを正確に打ち抜かなければポイントが認められない経験がもたらした、正確な突きが、対戦相手の鼻に直撃する。

辻との大一番を前に、V一は総合格闘技の活躍に一拍おき、シュートボクシングに挑戦する。カラテ、柔術という純粋なアマチェア競技、そして護身の要素が踏まえられた両競技では、ケガなく、傷つかず、アッサリ勝つことが大切だ。競技形態から、その是非は問われても総合格闘技でも、この勝利の方程式は通用する。

ただし、グローブ着用のスタンド競技は違う。基本が殴り合いを前提とされている。

そんな次元の違う戦いに挑むV一は「シュートボクシングをやるつもりはないです。接近戦で投げたり、関節を極めるという動きは柔術にも生きるし、総合にも生きる。そういうつもりで練習させてもらっているので、その成果を見せられればと思います。だから、これから豪快なスープレックスを身につけようと」と、ここでも突き抜けた意見とともに実顔を見せる。

彼女の言葉は続く――。「道衣を着るのが大好きで。帯を締めている方が、普段着よりも好きだし。自分が好きでやっていることで、リングやケージに上がり、周囲のみんなが喜んでくれる。こんな最高なことはないと思います」と。だから、試合は楽しく、面白いファイトを心がけたい。

柔術家、カラテ家、総合格闘家、そしてシュートボクサー。格闘技内で数々の肩書を持つ彼女から、笑顔が一瞬消えた。

「私は武道が好きなんです。武道、武の道、古くからの伝統を受け継ぐカラテが好きで、未来に伝承していくカラテが好きなんです。柔術もそういうものだと思うんです。それが道衣を着た武道だと……。自分は女子格闘家でなく、武道家だと思っています」

格闘技に対し、焦り、消耗が微塵にも感じられない。

伝統を受け継ぎ、継承することを自然と受け入れている彼女だからこそ、戦い続けること、修練を積み続ける将来に不安を感じる必要がないのだろう。

彼女が格闘技に愛されているかは、分からない。ただし、V一――山口芽生が武道とともにあることは確かだ。

−ゴング格闘技PLUS 2009年9月号増刊 記事より転載−